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文化+/作品を作り上げる原動力は「怒り」 ヤン・リージョウ監督インタビュー<文化+>

2021/05/19 05:54
ヤン・リージョウ(楊力州)監督
ヤン・リージョウ(楊力州)監督

ドキュメンタリー映画の世界に身を投じて25年。ヤン・リージョウ(楊力州)監督は台湾のドキュメンタリー映画史上、最も多くの作品が劇場公開された映画監督だ。扱う題材の多くは弱い立場の人の声を届けるものだ。認知症や水商売の女性、山間部の子供などを主役にしてきた。作品には優しさが漂うが、作品を完成させる重要な原動力は「怒り」だとヤン監督は語る。

 本記事は中央社の隔週連載「文化+」の中の「用憤怒孵化溫柔的模樣 楊力州回首紀錄片25年來時路」を編集翻訳したものです。

子供の頃はあまりドキュメンタリー映画に触れたことはなかったというヤン監督。転機になったのは大学時代、あるきっかけで見た1本のドキュメンタリー映画だ。大学2年か3年の夏の午後、ヤン監督が在籍していた学科にプロジェクターを借りに来た映画サークルの学生から、映画監督が来ることを教えられた。当時は映画監督とはどういうものかよく分かっていなかったというヤン監督。だが、興味をひかれ、308教室の後ろのドアからこっそり入って作品を見た。それがウー・イーフォン(呉乙峰)監督の「月亮的小孩」だった。立ち見だったが最後まで見終わり、上映後の座談会にも参加した。「ドキュメンタリーがあれほどの衝撃を持つなんて思ってもみませんでした」とヤン監督は振り返る。

 「月亮的小孩」は先天的にメラニン色素の合成力に障害を持つ「白子症」の子供を扱った作品だ。作品の中で、母親は米国人と浮気して子を生んだとか、前世で悪いことをしたのだとか責められる。「こんなセリフは現実の中では特別なものではありません。でもドキュメンタリー映画の中ではこれほど強烈で真実味を持つのかということが私にはとてもショックでした」

 自身にとって、ドキュメンタリー映画で最も大切な要素は「真実味」だとヤン監督は話す。「絶対的な真実は存在しません。ドキュメンタリーは選ばれた真実が一本につながったものなのです」としつつ、「どんな題材を撮ろうとも、たとえそれが選択されたものだと知っていたとしても、それらを下支えするのは『誠実さ』です。現場で見たもの、感じたことを誠実に記録、編集し、観客に感じてもらう必要があります」とドキュメンタリー制作における信念を明かした。

ヤン・リージョウ監督
ヤン・リージョウ監督

だが、そのようにして出来上がった作品は主観的過ぎはしないだろうか。「もし誰かが私の作品を客観的でないと言うのであれば、私はその人にこう聞きたいです。『客観とはどういうものか、教えてもらえますか』。それぞれの立場が違うのだから、客観性というのはそもそも絶対的な言葉ではなく、相対的な関係なのです。ドキュメンタリー映画とニュースは違います。ドキュメンタリー映画は物理上であれ、関係上であれ、立ち位置を選ぶことができます。ニュースにはバランスが必要です。ドキュメンタリー映画にとって、客観性は心に留めておいたり、追い求めたりする必要があるものではないのです」

 ヤン監督はかつて、ドキュメンタリー映画にとって「怒り」が大切な要素だと語っていた。だが、ヤン監督の作品からは優しさが感じられる。このような怒りはまだ存在しているのだろうか。

 「怒りも外観を整えられれば、怒りの外見をしているとは限りません。冷たさだったり、情熱だったり、無感覚といった外見になることもあります。もし怒りの見た目が怒りだったら、メロドラマのようになるでしょう」とヤン監督は持論を展開する。その上で「怒りは作品内に表現されるとは限らないけれど、作品を完成させる重要な要因なのです」と話す。

 ドキュメンタリー映画では長い時間をかけて対象者を撮影する。ヤン監督の場合、1本の撮影に年単位の時間を費やすのが通常だ。他人が人生の異なる段階で経験する出来事を、撮影チームは短い時間の中で集中的に目にする。それには代償も伴うとヤン監督は打ち明ける。

 「病気なら医者に診てもらわないといけません。これは公言しているのですが、私は長期的に薬を飲んでいます。カウンセラーからは『監督、ドキュメンタリーを撮るのをやめさえすれば良くなりますよ』と言われます。ドキュメンタリー制作が自身の愛するものなのかどうかを突き詰めて考えたくはないのですが、続けることができているのは、返ってくるものがあるからです」

撮影現場のヤン・リージョウ監督(左1)=後場音像記録工作室提供
撮影現場のヤン・リージョウ監督(左1)=後場音像記録工作室提供

観客からもらった「お返し」について、ヤン監督はこんなエピソードを明かした。

 「大学で教えているのですが、バラに関する作品を制作したある学生が授業での発表の前に『作品を10分間流したい』と意味深な様子で私にお願いしに来ました。その作品の中ではこんなシーンがありました。花布の笠をかぶった農家のおばさんが学生たちに、なぜ撮影しているのかと聞くと、学生はドキュメンタリー撮影の課題だと答えました。おばさんが『被遺忘的時光』(注:ヤン監督のドキュメンタリー)を見たことがあると話すと、学生はカメラの向こうで、『あ~、それは私たちの先生です』と興奮気味に叫んだのです。私は『やれやれ。先生におべっかを使うために被写体の言葉を遮るとは何事か。後で何と説教してやろうか』と考えていました。すると、おばさんが突然振り返ってカメラに向かい『映画で初めて認知症というものを知ったのさ。村には一人、そんな感じの人がいてね。最初は頭がおかしくなったと笑っていたんだけれど、映画を見て、すまん、と思ったよ。私はあんたたちの先生は知らないが、先生がしていることには敬意しかないよ。心の中ですごいと思っているんだ』と話したのです。教室にいた学生は大笑いしていましたが、私は一人、涙をポロポロ流していました」

 編集の作業をする度に、編集技師に「これが最後のドキュメンタリーだ」と弱音を吐いているというヤン監督。だが、作品を完成させて観客からお返しをもらうと、「じゃあもう1本撮ろう」という気持ちになり、ついには弱音を吐いても編集技師に相手にされなくなったのだという。

ヤン・リージョウ監督
ヤン・リージョウ監督

ヤン監督に、人生においてドキュメンタリーを撮る意義に変化があったのか尋ねてみた。

「ある時期は正義と公益を表現するものでした。でもある時、ドキュメンタリーでは公益を成し遂げられないと気付き、またある時は芸術作品となり、ある時期は内省に変わりました」。ヤン監督は振り返る。

「年を取ったからかもしれません。私にとって創作活動には哲学的、宗教的な熟考があります」と前置きした上で、2018年末に南極を探検した台湾のチームを撮影したドキュメンタリー「前進南極点」に言及したヤン監督。同作はディスカバリーチャンネルで放送された。ヤン監督はディスカバリーに話を持ちかけた際、真っ白な雪景色の中に仏教の経典「金剛般若経」(こんごうはんにゃきょう)を登場させたいと面白半分で提案したという。突拍子もないアイデアを出した理由について、ヤン監督はこう明かす。

「2500年前のブッダは毎日きちんとご飯を食べ、良いものを着て、よく歩いていました。南極でもこうだと思うのです。それから、1912年に英国の南極遠征隊を率いたロバート・スコットの日記を読んだ時、確証はないのですが、彼はノルウェー隊が先に南極点に到達したと知った後、生きて帰るつもりはないという考えが頭にあったのではないか。私はこう感じたのです。生きようとする考えが人間にはあるのだったら、死のうという意思があってもおかしくないのではないのでしょうか」

「これらの定義は絶えず揺らいでいきますが、私には今、新人監督のドキュメンタリー短編シリーズ『怪咖』のエグゼクティブプロデューサーという肩書があります。正義と公益の衝突は若者に任せることにしましょう」

(王心妤/編集:名切千絵)

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