<文化+>こんにちは、日本から来た「Iku老師」です

2020/12/23 06:00 文字サイズ: 字級縮小 字級放大

本記事は中央社の隔週特集「文化+」の記事【你好,我是來自日本的Iku老師】を翻訳編集したものです。

もともとは手掛けた雑誌をPRするために動画を撮っていたが、気が付いたら台湾の人気ユーチューバーの一人になっていたというIku老師。動画ではハイテンションにおどけるが、実際の彼は違っていた――。

「Iku老師」こと佐藤生さん。

「Iku老師」こと佐藤生さん。

動画の中では大げさな顔芸を見せ、漫才のような口調で話す。取材の時間をわざわざ作ってくれるだろうか。打診したものの、断られる可能性は高いと思っていた。

しばらくすると返信が届いた。「いいです。ただ、60分以内に終わらせてください」。簡潔な文面だった。言語の関係か、はたまた元からそういう性格なのかは分からなかった。

雨が降る蒸し暑いある日の午後、Iku老師が暮らす台北のベッドタウン、新北市で私たちは顔を合わせた。ベレー帽に黒縁眼鏡のIku老師に「どうも、どうも」と出迎えられ、笑いの絶えないインタビューになる――と想像していた。

だが、そうならなかった。画面越しではない目の前のIku老師は落ち着いていて、質問のたびに数分考え、じっくりと答える。「10秒間の一問一答」では、「5分間の一問十答」になってしまったほどだ。

動画の中のハイテンションにおどける様子とは打って変わり、真剣な表情でインタビューに応じる。

動画の中のハイテンションにおどける様子とは打って変わり、真剣な表情でインタビューに応じる。

あまりのギャップに意外さを感じる記者に、確かに実際の自分は「真面目」だと認めるIku老師。おどけたキャラクターはコラボ相手や視聴者にリラックスしてもらうためだという。「皆にとってユーチューブは娯楽。わざわざ時間を割いて真面目な動画を見ようと思わないでしょう」

ユーチューバーは、「デザイナー」と「アーティスト」の2タイプに分かれるとIku老師は考える。前者は市場分析に長け、視聴者の好みに合わせて動画を制作するのに対し、後者は天才。何を撮っても面白いものに仕上がるのだという。

「自分はデザイナータイプ。台湾で5年間、出版社に勤めていました。PV数と皆の好みを考えながらやらなくてはならないので、いろいろな面を考慮する必要があるんです」

淡々と話すIku老師。生活とは、絶えない思考と戦いの連続。これがIku老師の本当の姿で、「佐藤生(いく)」という名の東京男子だ。

▽日本から来た「佐藤生」

「日本の東京から来ました、Iku老師です」。1986年生まれだ。

大学時代の佐藤さんはバイト漬けの毎日を送っていた。パン屋に居酒屋、家電量販店、外国人だらけの工場でも働いた。高額な学費のためだった。大学3年のある日、バイト先で倒れた。病院で目を覚まし、医師には過労だと言われた。

休もうと思って電車に揺られていたとき、目に入ったのは「台北」と書かれた広告。ガイドブックなしで台湾を旅するきっかけとなった。

中国語が全くできなかった佐藤さん。台湾と聞いて頭に浮かぶのは、漫画で見た「バナナがおいしい」ということだけだった。目的のない旅路で何度も道に迷い、電車も間違えた。やっとのことで、台湾本島最南端のガランピ岬にたどり着いたが、曇りで日の出は拝めなかった。

「辛いことはしっかりと覚えているんですが、それでも台湾への印象はすごく良かった。人の温かさを感じたし、助けてもらったから」。旅の途中、何人もの親切なドライバーに乗せてもらった上に、人生の伴侶となる女性にも出会った。

大学を無事に卒業できた佐藤さん。企業から内定も出ていたが、学生時代に「仕事」で大変な思いをしたためか、台湾で得た「縁」を大事にしたいと思ったのだろう。2011年、中国語を学ぶため、再び台湾に戻ってきた。

そして、そのまま根を下ろすことになる。初めて台湾に来てから11年経った今年、妻との間に新たな命も授かった。

▽変わらなければならない、だからユーチューブを始めた

「出版業はもうだめになりそうなので、変わらなければと思い、それでユーチューブを始めたんです」。真剣な面持ちで佐藤さんは言う。

「Iku老師/Ikulaoshi」のチャンネルに投稿された初期の動画では、今より少しだけ若く見える佐藤さんが真剣に五十音や文法を教えている。

台湾人の妻のために、台湾に戻ってきた佐藤さん。台北市にある師範大学で2年間、中国語を学んだ。その後は日本語教師になり、日本語教育雑誌の編集長まで務めた。ただ、人々の本離れが進むにつれ、出版業も衰退の一途をたどっている。

ユーチューブを始めたのは、作った雑誌をより多くの人に見てもらいたいと思ったからだった。「出版業界の人たちが売れないと嘆くのは言い訳だと思っていました。売れないのはPRが足りないからだと」

見た人に日本語学習に興味を持ってもらおうと、タピオカミルクティーや方言の比較など、ひらめきを動画にしていった。予想外の反響を得た佐藤さんはユーチューバーへの転身を考えるようになる。

そして2018年、出版社を離れる決意をし、台湾での5年間の会社員生活に終止符を打った。

<文化+>こんにちは、日本から来た「Iku老師」です

「会社員は疲れるんです。たくさんの人の顔色をうかがわなければならないし、1つの書類に印鑑を5~6個押してもらうために奔走したのに、最後には上司にボツにされる。却下に理由がないときもあります。ユーチューバーも大変だけど、自分の考えで決められる。良くてもだめでも、自分の責任なので、少なくとも何がだめなのか自分で分かるんです」

オンとオフがはっきりしている会社員と異なり、起きている間はずっと仕事がついてまわる生活となった。朝から晩まで企画に撮影、編集と、まるでバイトに追われていた学生時代のように目の周りにくまができていることもしばしば。ただ、今は人生のハンドルをしっかり握れている。

▽ユーチューバーはまるで「カードゲーム」

佐藤さんのチャンネルの登録者数は30万人を超えている。内容は日本語学習にとどまらず、台湾との文化の違い、日本観光に及ぶ。人気ユーチューバーとして頭角を現すようになると、台湾と日本の地方自治体や政府機関とコラボすることも増えるようになった。

ただ、競争が激しい業界でもある。不安がないか聞かれると、佐藤さんは冷静に言う。「ゼロから始まったので、最低でもゼロに戻るだけです」

唯一恐れているのは、自分の問題点が分からなくなること。市場のトレンドがつかめないこと。出版社に務めていた経験からか、こう言う。「考えて分析する。バッターボックスに立つ野球選手と同じように、どう練習すればホームランを打ったり、打率を上げたりできるか考える。安打ばっかりというわけにはいかないでしょう」

他の外国人ユーチューバとはどう差別化を図るのか。佐藤さんは「カードゲーム」に例える。まず、自分にどのような条件があるかを見極め、総合的に分析する。それでこそ、成果が得られる。

佐藤さんは、自身について「34歳で東京出身、台湾在住11年、台湾人の妻がいて、もうすぐ子供が生まれる」(注1)と言及。チャンネルでは国際結婚カップルがどのように出産を迎えるのかを扱うことが増えてきた。

注1:繁体字記事掲載当時。佐藤さんの長女は12月初めに誕生した。

外国人であることで得することは否定しない佐藤さん。それだけで台湾人ユーチューバーよりリードすることになる。「ただ、個人の特質を発揮できるかにも関わります。日本人であれば誰しもユーチューバーになれるわけではありませんから」

ユーチューバーとしての「Iku老師」はオーバーリアクションと顔芸で視聴者を楽しませる。(写真=佐藤さん提供)

ユーチューバーとしての「Iku老師」はオーバーリアクションと顔芸で視聴者を楽しませる。(写真=佐藤さん提供)

▽批判ばかりするネット民は「悲しい人たち」

他人への誹謗中傷が飛び交うネットの世界。芸能人やユーチューバーは特に攻撃の的になりやすい。日本に帰れ、台湾にこびている、釣魚台(日本名:尖閣諸島)は台湾のものだ――これらは佐藤さんが浴びせられた言葉の一部だ。

だが、佐藤さんは全く気にしないという。このようなネット民は悲しい人々なのだと哀れみの目を向けるだけだ。「僕は人生を自分のやりたいことに使っていて、そのための努力もしています。でも彼らは自分たちの人生をこんなことにしか使えていない。同情します」

「ガンジーやマイケル・ジャクソンのような有名人も攻撃を受けていました。僕に頑張れと言ってくれる人もたくさんいます。猛烈に批判する人ももちろんいますが、この人たちに割く時間はありません。もったいないです」

佐藤さんは台湾で、誹謗中傷以上に、たくさんの愛情を受け取った。その一つ一つに感謝しきれないほどだ。

「たくさんの人が自分を受け入れて、好きになってくれたことにはとても感謝しています。だからここまでやってこられました。結婚の許しを得ようと妻の親族にあいさつした際、おばあさんが快諾してくれたのには驚きました。外国人で、話すのもたどたどしいし、簡単に許しが得られるとは思っていませんでした」

「孫娘が幸せならそれでいい」――こう言われたという。これは自身の目標にもなった。台湾で過ごした時間は人生の3分の1を占める。台湾に「婿入り」し、父親にもなった佐藤さん。台湾は今では第二の故郷で、自身の子供の家でもある。

自分の力で少しでも台湾を良くしたいと願う佐藤さん。台湾が日本にマスクを200万枚寄贈したことに感謝しようと、おにぎりを200個、台湾のホームレスに配布した。(写真=佐藤さん提供)

自分の力で少しでも台湾を良くしたいと願う佐藤さん。台湾が日本にマスクを200万枚寄贈したことに感謝しようと、おにぎりを200個、台湾のホームレスに配布した。(写真=佐藤さん提供)

▽ここは子供の「家」 もっと良くなってほしい

台湾での滞在歴は10年を超えているため、「7歳の台湾人の子より自分の方が『台湾人』であるはず」と笑う佐藤さん。「2つの国に対する観察はより客観的だと思うし、『臭豆腐臭い』みたいな観光客レベルにはもうとどまっていられません」

グルメや文化の違い以外のテーマにも目を向けるようになった。戦時中、日本に渡り戦闘機製造に携わった台湾少年工、日本統治下の台湾で生まれた「湾生」のルーツ探し、台湾の交通マナー、高い不動産価格まで扱った。公園に捨てられたたばこの吸い殻を延々と拾う企画をやったこともあった。

人気のある題材では決してないが、気にはならない。より多くの人に関心を持ってもらいたいと思うテーマを自分で整理し、視聴者に見てもらいたいからだ。「ここは自分の子供の国だから。もっと良くなってもらいたい」

台湾は、馴染みのないものでも受け入れやすく、国の政策もスピーディーだと話す佐藤さん。アジアで初めて同性婚を容認し、新型コロナウイルス対策でも成果を上げた。「それに比べて日本は非常に保守的で、排他的です。それはコロナ対策の結果に顕著に表れています」

佐藤さんはこうも言う。「台湾人はちょっと自信がなさ過ぎです。他人や外国人がどう見ているかということを非常に気にするので、そういうテーマの動画は人気だし、どんどん増えています。でも、台湾には実は良いところがたくさんあります。それを皆、知らないのが少し残念です」

▽台湾はすでに家 心に最もとどめておきたいのは「日常の風景」

きょうを最後に、あと1時間で日本に帰らなくてはならないとしたら何をしたいですか――この質問に対する外国人のお決まりの回答といえば、「ルーロー飯を食べて、タピオカミルクティーを飲む」だろう。

だが、佐藤さんは違った。「松山空港からですか?それとも桃園ですか」。人生の3分の1を台湾で過ごし、隅々まで知り尽くしただけある。しばらく考えて出した答えは「家からゆっくり松山空港まで歩いて、風景を見ながら動画を撮りたいです」。

台湾を離れる最後のときまで、ユーチューバーとしてカメラを手放さない。何をするわけでもなく、佐藤さんにとっては日常生活こそが人生の一部であり、台湾はすでに家なのだ。

(葉冠吟/編集:楊千慧)