烏脚病に苦しむ人々救った日本統治時代生まれの医師が死去/台湾

【社会】 2020/11/24 14:00 文字サイズ: 字級縮小 字級放大
曽文賓医師=慈済医院提供

曽文賓医師=慈済医院提供

(花蓮中央社)四肢が黒く変色する「烏脚病」の研究で多くの人の命を救った曽文賓(そうぶんひん)慈済医院(花蓮県)名誉院長が22日、自宅で死去した。98 歳だった。

烏脚病は、末梢血管の障害によって四肢に壊疽(えそ)が生じ、指の先から黒くなっていく病気。患部は激痛を伴い、多くの人が手足の切断を余儀なくされる。台湾では1950年代、南部・嘉義、台南の沿岸部を中心に多発した。

同院の林欣栄院長によれば、曽氏は58年、当時勤務していた台湾大学付属病院(台北市)の烏脚病研究チームに加入。68年には、飲み水のヒ素含有量と病気との関連を指摘したレポートを国際的な専門誌に発表した。上水道の整備を政府に促す効果があっただけでなく、世界保健機関(WHO)などが飲料水中のヒ素についてガイドラインを定める動きにもつながった。

一方で心臓病にも関心を寄せ、60~70年代には、中高齢者の心臓病を引き起こす高血圧や冠動脈の動脈硬化などの予防を提唱。台北市などの住民を対象に広く調査を行い、関連のレポートは、台湾における循環器疾患の発生率を示す最初の資料となった。

慈済医院には、同院が開業した86年8月から在籍。89年から99年まで院長を務めた。2005年には、台湾の医療に大きな貢献をした個人や団体を表彰する「中華民国医療奉献賞」を受賞した。

(李先鳳/編集:塚越西穂)