台湾東部・台東で先住民文化に触れる プユマ族やアミ族、紡がれる伝統

2019/02/12 06:44 文字サイズ: 字級縮小 字級放大

豊かな自然を誇る台湾東部・台東県。太平洋に面していながら、その面積の大部分を山地が占めている。この地には、漢民族が移住してくる前から多くの先住民族が居住していた。彼らは「台湾原住民」と呼ばれる。記者は1月上旬、同県を訪れその文化に触れた。文化や言語の保存、人口の流出などの課題を抱えながらも、自らの伝統を次世代に残そうという人々の努力が垣間見られた。

記者は2019年元日、台湾現地ツアー専門の旅行会社「MyTaiwanTour」の招きで台北発台東着の初日の出フライトに搭乗。フライトの後、先住民文化を体験するツアーに参加した。

記者は2019年元日、台湾現地ツアー専門の旅行会社「MyTaiwanTour」の招きで台北発台東着の初日の出フライトに搭乗。フライトの後、先住民文化を体験するツアーに参加した。

▽台湾原住民は16族、部族ごとに異なる言語や文化

行政院(内閣)の原住民族委員会の資料によると、台湾原住民の人口は約50万人余りで、総人口に占める割合はおよそ2%。政府から認定を受けているのは16族で、部族ごとに異なる言語や文化を持つ。

見た目や文化などの違いから、漢民族や日本人と衝突を繰り返してきた歴史的経緯を持つ台湾原住民。日本統治時代の1930(昭和5)年には中部で大規模な抗日蜂起「霧社事件」が起き、多くの人々が命を落とした。

近年は権利回復に向けた動きが活発になっている。1994年には憲法が改正され、「山胞(山地同胞)」という差別的な名称から現行の「原住民」に改称された。

2016年5月に発足した蔡英文政権は、台湾原住民の地位向上や問題解決に力を注いでいる。就任した年には総統として初めて台湾原住民に謝罪。これを皮切りに、2017年には先住民言語を国家の言語と位置づける「原住民族語言発展法」を施行した。16の民族の言語を使用する全国放送のFMラジオ局も開局している。

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▽プユマ族の集落、成人男性の集会所が文化の中心

台東には6つの部族が暮らしており、そのうちの一族がプユマ族だ。「プユマ」は彼らの言語で「団結」という意味を表し、漢民族に対して団結して立ち向かうという思いが込められているという。有名人では歌姫、アーメイ(張恵妹)が同族出身として知られる。

人口は2018年末の時点で約1万4千人。この日訪れた台東市北部に位置する「南王集落」には1100人余りのプユマ族が住んでいる。だが、集落に暮らす人口の半分以上は漢民族だという。

集落には「パラクアン」と呼ばれる集会所がある。男性が政治について話し合ったり、青年たちを教育したりする場とされ、プユマ族の人々の生活の中心となっている。そのそばには少年集会所「タクバン」があり、男子は13~15歳になるとこの集会所に泊まり込んで訓練を受ける。女性はパラクアンにもタクバンにも立ち入ることは許されない。

ガイドの洪さんと少年集会所「タクバン」。柱には「女性は立ち入り禁止」と書かれた張り紙が。

ガイドの洪さんと少年集会所「タクバン」。柱には「女性は立ち入り禁止」と書かれた張り紙が。

集落を案内してくれた洪慶誠(族名:Kepedayan Pakawyan)さんによると、現在もこの習慣は残されており、少年たちは毎週金曜と土曜の夜に集会所へやってくる。訓練は3年間続くという。

訓練を終えると一人前と認められ、集会所で行われる成人式で大人の衣装が与えられる。儀式では感極まって涙を流す少年の親も少なくないといい、洪さんも息子の成人式では涙がこぼれたと感慨深げに語った。

▽年越しの式典「年祭」 青年たちが年長者から狩りを学ぶ儀式も

毎年12月下旬になると、一年で最も大事な式典「年祭」が開催される。1月初旬まで約15日間続き、「少年サル祭」や「大狩祭」などの儀式が行われる。

サル祭は、訓練を受けた少年たちが大人になる前の最後の試練として、生きたサルを刺し殺せるか試す度胸試しの儀式として行われていた。現代では、小学1年~中学3年の少年たちが2つのチームに分かれて戦い、「強き戦士」になれるかを試すという。

続いて行われる大狩祭は、高校生以上の青年が族の年長者と共に山へ狩りに出てその技術を学ぶ儀式だ。少量のコメや塩を手に、グループに分かれて山へ入る。狩りを終えた男性たちは仕留めた獲物と共に集落に戻る。女性たちは豊富な食事を準備して男性たちを迎える。

大狩祭の様子。中央社資料写真

大狩祭の様子。中央社資料写真

大狩祭では年長者に花輪が付けられる。花が多ければ多いほど、集落での人望が厚いことを表す。中央社資料写真

大狩祭では年長者に花輪が付けられる。花が多ければ多いほど、集落での人望が厚いことを表す。中央社資料写真

狩りを終えた男性たちが通る「凱旋門」。後方に建てられたタクバンは竹やわらなどで作られているが、数年前に台風が直撃した際にも倒壊しなかったという。

狩りを終えた男性たちが通る「凱旋門」。後方に建てられたタクバンは竹やわらなどで作られているが、数年前に台風が直撃した際にも倒壊しなかったという。

▽日本人学者が発見した先史時代の遺跡「卑南遺跡」

卑南遺跡は台湾で最も完全な状態で残されているとされる遺跡で、南王集落の中にある。1980年、駅の建設工事をきっかけに大規模な発掘作業が行われた。2002年には「国立台湾史前博物館」が設立された。

遺跡は約5千年前のもので、約3千年にわたって文化が営まれていたとみられている。狩りや農業で生活していたとされ、稲作を行っていたことも分かっている。また、石棺が大量に発見されており、台湾ヒスイで作られたアクセサリーの副葬品が多く見つかっている。

国立台湾史前博物館に展示されている石棺。全て「聖なる山」とされる都蘭山の方向を向いて埋められていたという。

国立台湾史前博物館に展示されている石棺。全て「聖なる山」とされる都蘭山の方向を向いて埋められていたという。

この遺跡に関する最も古い記録は日本統治時代に日本人によって残されている。人類学者の鳥居龍蔵が1896(明治29)年に撮影した巨大な石柱の写真だ。鳥居は1895(明治28)年からおよそ半世紀にわたって台湾や中国、朝鮮半島などを調査。当時珍しかったカメラを日本で初めて野外調査に携行し、多くの写真を残した。

1930(昭和5)年に同じく人類学者の鹿野忠雄が遺跡の石柱について発表して以来、石柱の写真が民俗学雑誌で度々取り上げられるようになり、遺跡のシンボルとされるようになった。1945(昭和20)年には人類学者の金関丈夫と考古学者の国分直一がこの遺跡で初となる発掘調査を実施した。

遺跡最大の石柱のレプリカ。高さは5メートル近くに及ぶ。

遺跡最大の石柱のレプリカ。高さは5メートル近くに及ぶ。

プユマ族は中国語で「卑南族」と表記されるが、遺跡の「卑南文化」や「卑南人」とは別物だと考えられている。だが、プユマ族は古くからこの土地で生活を営んできた。遺跡がある公園を同族ゆかりの土地である「伝統領域」だと考えており、毎年の伝統儀式も園内で行っている。遺跡内に残されている複数の巨石は神聖なものだと考えられており、子供たちが容易に近づくことは許されなかったと洪さんは話す。

▽年長者を敬うアミ族、ご飯は素手で

台東県南部を中心に暮らすプユマ族に対し、県北部で生活しているアミ族。プユマ族から「Amis」(北に住む民族)と呼ばれたのが名前の由来だとされている。2018年現在約21万人いるとされ、台湾原住民の中で最大の人口を誇る。海沿いの「達麓岸部落屋」では、太平洋を望みながらアミ族の食文化を体験することができる。

年齢の大小によって社会の階層が構成されているアミ族では、年長者を敬うことが美徳とされ、食事の席では「バカルナイ」と呼ばれる少年たちが年長者に奉仕する。バカルナイは鈴がついたベルトを腰につけ、年長者に茶を注ぐ際に腰を揺らして鈴の音を鳴らし、尊敬の念を表す。腰を揺らす回数が多ければ多いほど鈴の音は大きく響き、その分だけ表される尊敬の念も大きくなるという。食事は年齢が上の者から順に食べ始める。

達麓岸部落屋のテーブルに並ぶ料理の数々。年長者から順に食べ始める。

達麓岸部落屋のテーブルに並ぶ料理の数々。年長者から順に食べ始める。

バカルナイが付ける鈴がついたベルト。中央研究院デジタル典蔵計画提供

バカルナイが付ける鈴がついたベルト。中央研究院デジタル典蔵計画提供

手は「両親が授けてくれた食器」だと考えるアミ族。そのため、ご飯は素手で食べる。出された白いご飯はもち米を炊いた「三宝飯」と呼ばれるもので、「三宝」はサツマイモ、サトイモ、そして手汗を指す。手で食べると、手汗のしょっぱい味が加わり、風味が増すのだという。手でもち米を一口サイズに丸めて口の中に放り込むのがアミ族流の食べ方だ。

右が三宝飯。口の中でサツマイモの香りが広がる。素手で食べることを勧められるが、箸も用意されている。

右が三宝飯。口の中でサツマイモの香りが広がる。素手で食べることを勧められるが、箸も用意されている。

▽アミ族にとって「神聖な食べ物」である餅

アミ族にとって餅は神聖な食べ物で、結婚式と男性が狩りに行く前のときだけ餅をつくことが許される。

結婚式では、新婦と新郎の息が合うかを試す儀式の一環として行われ、ついた餅は参列者に振る舞われる。狩りの際には、餅は携行食とされ、母親が狩りに出かける息子のために餅をつくのだという。

達麓岸部落屋ではアミ族の伝統的な儀式、餅つき体験もできる。

達麓岸部落屋ではアミ族の伝統的な儀式、餅つき体験もできる。

▽部族の伝統、自分たちの手で次の世代へ

洪さんと共に南王集落を散策していると、集会所でプユマ族の少年たちに出くわした。前日に行われた儀式に参加した少年たちだ。高校生ぐらいだろうか。昨晩は夜通し歌ったり踊ったりしていたという。少年の一人は儀式で着たプユマ族の伝統衣装を片手に持っていた。洪さんがプユマ語で声をかけると、笑顔で言葉を返す姿が印象的だった。

洪さんによれば、集落に残っている若者は簡単なプユマ語を話すことができるが、進学や就職で県外に出て行った若者はプユマ語を理解できないのがほとんどだという。

文化や言語の保存のため、学校では言語教育を進めたり、校内に族の伝統である集会所を作って文化教育を行ったりしているが、洪さんは「時間割のコマ数が増えただけ」と不満の声を漏らす。「全面的な文化教育とは言いがたい。自分たちでやるしかない」。自らの手で文化を次の世代へ――その決意を垣間見た。

(楊千慧)