先住民制圧の歴史伝える日本統治時代の駐在所遺構、ブヌン族が修復/台湾

【社会】 2020/07/30 12:36 文字サイズ: 字級縮小 字級放大
修復された十三里駐在所の石垣=花蓮県文化局提供

修復された十三里駐在所の石垣=花蓮県文化局提供

(花蓮中央社)東部・花蓮県玉里と中部・南投県東埔を結ぶ横断道路「八通関越嶺道路」は、日本統治時代に地元の先住民、ブヌン族の制圧を目的として開かれた。だが、そのブヌン族の人々が歴史・文化資源を守るため、沿線に当時から残る駐在所遺構の修復作業に取り組んだ。

今では登山コースとして親しまれている八通関越嶺道路。当時の台湾総督府が1919(大正8)年~21(同10)年にかけて建設したもので、沿線に56カ所の駐在所を設け、同地における植民地政策の推進拠点とした。

修復されたのはこのうち、海拔約1800メートルの地点にある十三里駐在所。玉里から13里離れているという意味で名付けられたが、日本語で「トミリ」とも呼ばれたことから、これに中国語の漢字を当てた「多美麗」という別名がある。1944(昭和19)年に廃止され、かつて建てられた木造建築はすでに跡形もなくなっているが、石垣や盛り土などの遺構が今もなお残る。

同県文化局によれば、入り口北側にある石垣が地盤沈下で傾斜。登山者の安全確保や歴史遺跡保存の必要性などから、修復計画を立ち上げた。作業期間は9日間。修復を請け負った作業チームによると、駐在所は山奥にあり、全ての機材を背負って徒歩で登らなければならないため、持てる道具が限られ、そのことが難易度を高めたという。

また、作業中、石垣の一部には、強度を増すために長さ約1.2メートル、重さ約200キロの巨大な板石が用いられていることが判明。それらを一つずつ外し、丁寧に組み直す作業は4~5人がかりで素手で行われた。同局は、これらの作業は過去の痛みを癒して整理し、前向きな態度で自らの伝統領域と向き合うことにもつながると指摘している。

(李先鳳/編集:塚越西穂)