日本統治時代の先住民野球団を紹介 プロ選手企画の展示会/台湾・台中

【社会】 2019/10/02 14:54 文字サイズ: 字級縮小 字級放大
展示ケースに「能高団」関連の資料を入れる周思齊選手=台中市野球教育基金会提供

展示ケースに「能高団」関連の資料を入れる周思齊選手=台中市野球教育基金会提供

(台北中央社)日本統治時代に東部・花蓮で結成された台湾最初の先住民野球チーム「能高団」を紹介する展示会が中部・台中市内で開催されている。自身もアミ族出身の台湾プロ野球・中信兄弟の周思齊外野手が企画した。周氏は、同展を通じて東部における野球についてもっと知ってほしいと期待を示している。

文化部(文化省)などの資料によると、能高団の前身は、アミ族の少年を集めて1921年に作られた「高砂棒球隊」。地元にそびえる能高山にちなんで能高団と改称し、25年の日本遠征で好成績を残した。だが26年、当時の花蓮港庁長、江口良三郎など、後ろ盾となる人物の死去や離任が相次ぎ、チームはほどなく解散。チームとしての命は短かったものの、その存在は映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」で一躍有名になった嘉義農林学校野球部創設時の参考になるなど、台湾の野球の発展に大きな影響を与えたとされる。

能高団のメンバーは、日本での試合で実力が認められるなどして、複数名が平安中学校(現・龍谷大平安)に野球留学した。このうちの一人、投手の羅道厚(日本名:伊藤次郎)は法政大を経て36年に東京セネタースに入団し、台湾出身者として初めてのプロ選手となった。もう一人の葉天送(同:岡村俊昭)は日大を経て39年に南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。44年に首位打者を獲得するなど活躍し、引退後もコーチとして球界に貢献した。

周氏は、台湾にはほとんど当時の資料が残っておらず、日本の雑誌や新聞などから少しずつ情報を集めたと準備期間の苦労を明かす。当時を知る人が減り続けているため時間との競争になるが、一方で新しい発見もあると語り、能高団の歴史をひもとくことへのあくなき熱意を見せている。

「被遺忘的棒球-能高伝奇展」は台中棒球故事館で2020年2月29日まで開催される。(月曜休館)

(楊啓芳/編集:塚越西穂)