日本時代の先住民制圧の歴史を伝える駐在所 花蓮県が保存へ/台湾

【社会】 2019/07/18 19:10 文字サイズ: 字級縮小 字級放大
「華巴諾駐在所」に眠っていたロシア製の3インチ砲=花蓮県文化局提供

「華巴諾駐在所」に眠っていたロシア製の3インチ砲=花蓮県文化局提供

(花蓮 18日 中央社)日本統治時代に開かれた横断道路「八通関越嶺道路」沿いに設置された「華巴諾駐在所」の現場を記録、保存するプロジェクトが、花蓮県政府によって進められている。同県文化局の江躍辰局長は、世界に誇る登山コースである同道路の文化をより充実させ、歴史の魅力を伝えていきたいと意気込み、地元の先住民、ブヌン族による登山産業創出の契機になることにも期待を示している。

同局によると、日本政府は20世紀初頭、同県のラクラク(拉庫拉庫)渓の流域に住むブヌン族を統治するために、同族が日常的に使用していた猟銃を没収。これが引き金となり、1915(大正4)年には不満を抱くブヌン族が日本人警官を襲撃した「カシバナ事件」や「大分事件」などの抗日活動が頻発し、双方は多数の死者を出した。

台湾総督府はこれを制圧するため、19(同8)~21(同10)年にかけて、ラクラク渓南側の山の中腹に八通関越嶺道路(東側)を建設。約83キロの沿線に計46カ所の駐在所を設けた。華巴諾駐在所は1920年に設置されたもので、宿舎があり、巡査5人と助手6人が常駐していたとされる。

同局は同駐在所の現況図や復元図、文物リストの作成、建築群の50分の1模型の制作などを民間の調査チームに依頼。6月末から7月初めまで、9日間にわたる調査が行われた。

調査では貯水池や台所設備、公共浴場、排水施設などの遺構のほか、酒の空き瓶や鍋、食器なども見つかった。このうち最も注目を集めたのが、倉庫に眠っていた3インチ砲。国立台湾博物館(台北市)の研究員、林一宏氏によれば、3インチ砲はロシアのプチロフ工場(現キーロフ工場)で1903年に製造されたもの。日露戦争で旧日本軍が獲得した戦利品で、このうち6基が先住民対策に用いられたという。

八通関越嶺道路は全長約125キロ。当初、大水窟(花蓮県と南投県の県境)を境界にして東西両側から建設が進められたため、東部・璞石閣(現・花蓮県玉里鎮)を起点とする約83キロが東側、中部・楠仔脚万(現・南投県信義郷)を起点とする約42キロが西側と呼ばれる。

(李先鳳/編集:塚越西穂)