裕隆の董事長、厳凱泰氏が死去 台湾における国産自動車の製造を堅持

【経済】 2018/12/04 15:56 文字サイズ: 字級縮小 字級放大
裕隆グループの厳凱泰董事長

裕隆グループの厳凱泰董事長

(台北 4日 中央社)日産自動車や三菱自動車の車両の受託製造のほか、自社ブランドも展開する台湾の自動車大手、裕隆グループの厳凱泰董事長(会長)が3日、死去した。53歳。2016年4月に食道がんと診断され、闘病中だった。

厳氏は1965年生まれ。自動車メーカー、裕隆汽車の創業者である厳慶齢氏の養子として育てられ、14歳で米国に留学した。慶齢氏は81年に病死し、養母の吳舜文氏が慶齢氏の悲願であった国産車製造の実現を目指して奮闘。86年に台湾で開発・製造した最初の自動車、飛羚101を発表して台湾の自動車業界に名をとどろかせた。その間留学を続けていた厳氏は89年に呼び戻され、24歳で会社運営のバトンを譲り受けると同時に、国産車製造への熱意も引き継いだ。

厳氏は帰国後、社内の改革を進めたほか、96年には日産セフィーロの現地生産に踏み切った。これが大ヒットして、3年間続いた赤字を黒字転換させることに成功。2007年にグループの会長に就任し、2009年に両親の遺志を受け継いで自社の高級車ブランド「ラクスジェン」を立ち上げた。

ラクスジェンの業績は一時期はロシア市場に進出するほど好調だったものの、近年は伸び悩み気味となっていた。厳氏はGT-Rの開発で知られる日産の元エンジニア、水野和敏氏をグループ傘下の開発会社、華創車電技術中心(HAITEC)の副社長に招いたほか、昨年には今後5年間に10モデルを発表する計画を打ち出すなど、改善に向けた取り組みを進めていた。

グループは北部・新北市新店でショッピングモールや映画館、マンションなどで構成される大規模なタウン開発計画も進めており、トップの死がこれら新事業に与える影響を懸念する声もある。

裕隆グループは3日、厳氏の妻、陳莉蓮氏がグループの執行長に就任すると発表。傘下の各社の管理、運営はすでに制度化されており、事業運営に影響は出ないとしている。

(田裕斌/編集:塚越西穂)