日本統治時代の1931(昭和6)年に夏の甲子園野球大会で活躍した嘉義農林学校(嘉農)野球部の選手の1人、陳耕元(日本名:上松耕一、1905-1958)。彼は戦後になり、「アジアの鉄人」といわれた十種競技の選手で、1960年のローマオリンピックの銀メダリストである楊伝広(1933-2007)を最初に陸上競技の素質があると見抜いた恩人だったことはあまり知られていない。
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